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執筆者の写真eye

ベルリンの壁の今. . ! ベルリンマラソン当日✨ / ベルリン再会旅


ホテルのTVで ベルリンマラソンのスタートを観ていました✨

スタートは混みすぎてるから と言われたので

ゴールする頃に 応援に行くことにしました

叔父&叔母〜 どこだー ?

頑張れ〜 !


叔母が前日に言ってたのだけど、

4万人以上が参加する ベルリンマラソンのような大きなマラソンイベントだと

スタート地点に辿り着くまでに 一般参加者は30分以上かかるらしい😱


しばらく観てたのですが 先頭のチョー速い選手達がすでに10km以上走ってるのに

まだまだ スタートできそうにない人達がたくさん映ってて びっくり ! !

こりゃ 全員スタートするの待ってたら チェックアウトの時間過ぎちゃうわ. . .

叔父&叔母ー! 私たち観光してくるわー🙋‍♀️


ホテルをチェックアウトし、

市内観光に出かけました🚃 まずは、ベルリン ヴァルシャウアー駅周辺へ

ベルリンには今も ベルリンの壁の一部が残されていて

観光スポットの1つとなっています

この すごい落書きされてる壁が ベルリンの壁で、

奥の建物は、壁の博物館



すぐ後ろは シュプレー川

川沿いに 2重の壁があり、

現在は 1.3kmに渡り 残されています





当時は 数カ所に境界検問所が設置されていたそうです

たくさん南京錠がつけられてる この鉄の扉部分が 検問所の1つだったのかな



もっともっと高い壁をイメージしていたのだけど

そこまで高くなかったのが 意外でした


万が一、乗り越えて入ることが出来ても

2重に建てられた壁の間は無人地帯で [死のゾーン] と呼ばれ、

無人地帯には 300の監視塔と 金網フェンスが設置されていて

生きて越えられる壁ではなかったらしい

トンネルを掘ったり、気球で西ドイツへ逃げ延びた人もいたそうですが

地中には地雷が埋められ、監視塔がある中での 命がけの脱出. . .


1961年8月12日〜13日の深夜

たった一夜にして 西ベルリンが有刺鉄線で囲まれて その後、壁に. . .

その日から 何十年も行き来が出来ずに 離れ離れとなった 家族、友人

ドイツって、なんて辛くて悲しい歴史がある国なんだろう😖


当時 ベルリンの壁崩壊のニュースを見た記憶がうっすらありますが

よく意味がわからなくて、

ドイツは怖い国、人も恐ろしいし 平和とは無縁の国

ってイメージを 勝手に持ってしまってました. .

でも今は

日本より治安がいい気がしてるし

ドイツ人はとっても親切で 全く怖くないし w

かなり平和な国

悲しい歴史を持ったベルリンの壁ですが、

見ることが出来た感激が 今ジワジワと来てます✨


↑ ベルリンの壁で有名な絵😊

オニード・ブレジネフ(旧ソ連書記長)と

エーリッヒ・ホーネッカー(旧東ドイツ国家評議会議長)がキスをしている絵です

ここが 1番人気でした w

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